それ、本当に必要?小さな断捨離で気持ちよく春を迎える。

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kaikoです。

春に向けた断捨離、年末とは少し違うパターンを考えています。

年末は、本、CD、DVD、衣類、両親の形見の足踏みミシン、ともかく色々な物を捨てました。

今回は、この冬に使わなかったコタツ布団、そして再び衣類を捨てることは決めています。

衣類は捨てそびれて保留にしたものが‘やっと捨てられそうです。

じっくり考えたから後悔はありません^ ^

春は、新しい生活を始めることが多い季節。

生活環境が変わるという点では、新年よりも新年らしいのが4月。

私のようにコタツ布団のような大きなものを捨てることだけが断捨離ではありません。

こういう時期だからこそ今年の春はひとつだけ、自分にとってあたりまえの存在になってしまっている不用品を見つけて処分してみませんか?

それ、本当に必要?小さな断捨離で気持ちよく春を迎える。

小さな断捨離

年末はやるぞー!という大掃除に対するモチベーションが高まって、たくさんの物を処分しました。

これってどちらかというとテンションを上げて興奮しているようなもので、ほんの一時だから出来ることですよね。

そういうの、毎日だったら疲れちゃう。

だからこそ、日頃の掃除や整理整頓は習慣化をして淡々とこなしちゃうのがものぐさの秘訣。

春の小さな断捨離は、そんな淡々とした生活に少し刺激を与えるための断捨離です。

面倒くさっ!とか思うこともなく、淡々とあたりまえに部屋を整えていくことが習慣の良さですが、たまには「部屋を整えて、心も整えているんだよ」っていう原点を思い出すことで、本当に毎日の自分が穏やかだったり、その筈だったのに穏やかでなかったり、タイミングによっては色々だけれど、そんな自分を全部オッケーにして原点に還ってまたスタートする、そんな春の断捨離です。

だからひとつだけで良いのですが、お題を決めました。

お題は、

『あたりまえ過ぎるものでもう必要ないものを手放すべし!』

にしました。

あたりまえ過ぎるもの

あたりまえ過ぎるものって、どういう風に説明すると分かりやすいのでしょう。

例えば、生まれたときから自分にとってごく普通の言葉なんだけど、大人になって他の地域の人と話をしたときに、

「ん?」

って聞き返されて、「あ、この言葉って誰でも分かるものじゃないんだ」って気づく瞬間。

ちなみに私は東京出身者で新潟在住なのですが、新潟に移り住んで仕事中に

「はっけーがん、ない?」

と聞かれて、「は?」と方言が分からず、相手のあたりまえを受け取れなかったことがあります。

「はっけーがん」

今では「冷たい(はっけー)もの(がん)」って分かります。何事も経験ですね 笑。

世の中や自分にとって、「なんだか理由は分からないんだけれどこうするものだからこうしてる」というのがあたりまえということですよね。

3日間ずっと部屋を眺め、玄関先を眺め、キッチンを眺めて、もしや・・・と思うものを見つけました。

 引っ越しを数えたら10回はしていると思うけれど、7回はいつも移動してきた陶器の置物。

何も考えず、引っ越すときには割れないように包み、新居では出して玄関先やリビングに飾ってきたものです。

でも、なぜそうしているのかが分かりません(^^;

確か、数々の退職先のひとつで一緒だった同僚からプレゼントされたもので、そんなに特別親しくはなかった彼女から頂いた、という印象だけがとても強く残っています。

趣味か?といえば好きな方ではあるけれど、正直に言えば自分で選んで購入することはないのだろうな、と思います。

けれど、何の疑問も持たず、ずっと飾っていて、今気づかなかったらこれからもずっと飾っていただろうなという物。

小さな信念

自分がこうするべき、とか、こうあるもの、とか自然と思い込んでいることを信念と呼ぶのなら、

物は大切にしなくてはいけない

人様から頂いたものは大切にしなくてはいけない

なんとなく、私にもそんな信念があるようです。

そして、アニメやドラマの中のシーンで、昔からのたくさんの品々が蔵にあったり、手に取って過去に浸る場面があったりしますよね。

思い出の品はたくさん取っておいてもいい

もしかしたら、そんな信念もあるのかな・・・

半信半疑ですがそんな気持ちです。

 

昔は現代に比べて、まだ物が少なかったから道徳的にも社会通念上も、物を大切にする心と行動が大切だったのかもしれません。

また、人は物に自分の気持ちを転移させてしまう性質があるように思います。

ですが、物があふれかえる現代。

それでも、それを失うことを恐れます。

もし、気持ちは気持ち、物は物、であれば、失ったとしてもそんなに恐いことはないのに、人間は複雑に考えてしまうのですね。

どうしても手放せない物は仕方ないとそんな自分を認めて、手始めに必要ないと思えるものは手放してみても良いんじゃないかな。

 

そんなことを考えて、改めてこの陶器の置物を眺めて、必要かどうかを自分に問いかけてみると必要というわけではありません。

頂き物として十分に私の家を飾ってくれましたが、そろそろ手放してみることにします。

そして私は信念の書き換えもします。

必要な物を大切に使う

人様から頂いたものは必要ではないこともある

思い出と品物は別々である

今、どうしても手放せないものがあっても、信念の書き換えと時間が、そんなことに向き合う力を作ってくれるかもしれません。

まとめ

あたりまえ過ぎる物を見つけるのって、本当に難しいと思いました。

でも、あたりまえ過ぎて気が付かないけれど、必要がないものもあるんだなっていうことが分かりました。

衣類のように明らかに「もう着ない」とか決めることもないので、向き合わない限り必要かどうかは分かりません。

こういうことは少しづつ(勢いがついたら一気にでも良いけれど)、しっかり向き合い処分を決めることで自分の心の整理にもなるのではないでしょうか。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

 

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